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1/19 県遺族会75周年

1/19 県遺族会75周年 記念式典

 

ホテルアソシアにて、静岡県遺族会の創立75周年記念式典が開催され、私も青年部つつじ会の会長として出席してきました。

 

遺族会は先の大戦で犠牲となられた英霊のご家族によって設立されましたが、今や発足当時の遺族はお亡くなりになった方が多く、孫の世代へと活動を継承する動きが始まりました。

私が青年部の会長をお引き受けしたのが平成30年でした。以来コロナ禍で思うような活動が出来なかった時期も長いのですが、靖国神社などへの参拝や研修を重ねてきました。

 

私の母方の祖父は九州大分から出征し、フィリピンルソン島で戦死したと聞きました。母の実家の座敷に飾られた軍服の遺影でしか、もちろん見たことはありません。

私が遺族会のお役を引き受けた理由は、新たな遺族会を再び組織させてはならないと思ったからです。これから先再び遺族会が組織されるとしたら、それはまた日本が国際社会の戦禍に直面する時です。この遺族会が我が国の最後の遺族会でなければなりません。この遺族会が存在し継承される理由はここにあります。

 

私たちがこうした問題を考える時、国際社会においては平和を唱え、国家においては国防を唱えます。平和は無戦状態であり、国防は緊張状態を前提としています。どちらも大切なことです。ロシアによるウクライナへの侵攻が、昨年私たちに国際関係の緊張の実際を突きつけました。北方領土を超えた僅か数百メートルに位置する隣国ロシア、太平洋への海路を実現すべく防潮する中国の軍事力。

言うまでもなく、国防なき平和は想像です。かつて世界に流行したイマジンです。想像も私たちの大切な力に違いありませんが、具体的な対処ではありません。私たち自民党は、現実的な対処を常に求められています。

国防を巡る増税には疑問もあります。経済情勢によって変動する国防予算という不安定な財源のあり方

は、経済制裁というアキレス腱を示すことではないのか。もっと安定した財源の上に安全を築くべきではないのか。

 

こうした議論は尽きませんが、私たち現代に生きる世代も、過去の大戦を悼むだけでなく、今置かれている平和の大切さについて、国防という土台の上にあるものだと自覚しなくてはならないと感じます。